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2009年6月

ゆず!

1997年の 現代座沼田公演で 知り合った友人が 老人保健施設にはいってしまった。ちょうど、沼田の事務所の床清掃だったので 帰りに寄ってみた。10年ぶりくらいになると思う。

「俺、48歳になったよ」
「私は 64歳」
「そうか 17歳も上やったんやね」
「そう」
「でも 64歳で 老健も せつないね。部屋はどうしたん?」
「ちゃんと借りたまま。退院したら また暮らすから」
「そうか、お金は なんとかなってるの?」
「障害者年金と 介護保険で なんとかね。あ、5月にディズニーランドにいったんよ」
「ほんまかいな」
「うん、昔からの仲間がね、連れていってくれたんよ」

「ねえ、ゆずの木は 、まだ あるの?」
「え、ゆず あるよ」
「そう。昔 ゆず、もらったから」

そうだ、昔、ゆずをあげたんだ。

この10年間、毎年、ゆずは実を結んでいるのに・・・

「あんな、びわの木もあるねん。びわの実 なったらもってくるわな」
「うん」

彼女の入所している 老健と その上のディサービスで らいぶして帰る。

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クールフールで歌わせてもらったんよ。

6月7日の日曜日に クールフールで 歌わせてもらいました。

Y君の歌が よかったです。

Y君の月曜日からのことを 祈って 即興で作ってうたったんだ。

店を手伝っている女の子が号泣してくれた。




Y君はシンヤとジャンケンして 1勝3敗だったんだ。

でも 負けて 笑顔になったんだ。それは Y君の 優しさなんだ。

これからもいろいろあると思うんだ。

でも Y君は 生きてゆくんだ。

今日から Y君の新しい旅立ちなんだ。

クールフールという場で Y君の歌。

くわしくは ここに書くわけにはいかないけれど、Y君のことを 応援してもらいたいなって
思うんだ。

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アフリカ スーダンのドクトル カワハラ

44歳の九州男児 川原医師は アフリカのスーダンで診療活動をしている。

外務省の医師として赴任。五人に一人の子供は五歳まで生きられないスーダン。

 「川原君、君はスーダン人に対して医療行為をすることは 日本政府が医療行為をしたことになるんだよ。君の仕事はこの国に来た日本人を診ることだ」
「しかし、この現状をみてほってはおけません」
「だめだ」
「わかりました。外務省をやめます」

日本にはなんでもある、でも何かが足りない。
スーダンにはなんにもない、でもなにかがある。
そのなにかを日本に伝えたいと 酋長たちといっしょになっての活動を今も続けている。

年に二回、日本へ戻る。資金集めのための講演活動と家族や友人に会うために。  

その講演が群馬であった。講演の前座で 川原医師の歌を即興でつくって 歌わせてもらったのだ。   

講演はスーダンの写真をみせながら。
写真をくっきり見せるために 会場中を真っ暗にすることを彼は主催スタッフに要求した。
それはスーダンのことが主で 私はその次だという彼の想いなのだろう。
そして最後にある歌を流しながらのスライド上映。
スーダンの子供たちの瞳が客席を見つめる。流された歌はさだまさしの「風に立つライオン」私は聞いていて この歌のモデルが彼なのだと錯覚した。錯覚したのだ。この歌は20年以上も前の歌なのだ。

「わたしは たまたま医者で たまたまスーダンだったのです。それだけなのです。みなさんにもきっとたまたまがあるはずです。こんな話を聞きました。はちどりの一雫という話です。森が火事になりました。動物たちが逃げ出しました。するとはちどりが川から水をくちばしに含み 火事の上にたらしました。何度も何度も。すると森の動物たちがいいました。そんなことをしても無駄だ、消えるわけがない。するとはちどりがいいました。私は私のできることをしているだけだと。
今日はどうもありがとうございました」


1000円あると マラリアの検査を四人が受けることができる。

ドクトル カワハラの NPOロシナンティスのHP

http://www.rocinantes.org/

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