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2008年12月

12月27日の 上毛新聞

あ、おとうさんが うつってる!

え?あ、ほんまや。わお、まえりあ文化祭の記事や。ヨロコンデのヨの字もないな。

あるよ、ほら。

あ、ギターに 貼り付けてある!そうか イベント盛り上げ隊の あの紙を この日はギターに貼り付けたんや。そうか、そうか。千春とちゃんと写ってる。よかった!


そんな会話をいたしました。

もしかしたら イベントの記事の中に なぜか写真だけというのが これからのヨロコンデらしさかもしれません。今年は ちょっと前の 太田市のNPOフェスの記事の写真が 紙芝居をしている 私やったのと この まえりあの記事と 2回 新聞に写真が載ったのでありました。

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クリスマス

日本で初めてのクリスマスは、1552年(天文21年)に現在の山口県周防において宣教師たちが日本人信徒を招いてのミサであった。しかし、その後江戸時代に幕府がキリスト教を徹底的に弾圧したことから、明治のはじめまでまったく受け入れられることはなかった。

日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、そのころからクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の十二月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。1925年(大正14年)に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)が発行され、1928年(昭和3年)の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[4]

昭和初期の頃、銀座渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年(昭和6年)12月12日都新聞は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。

ネットで調べた クリスマスの歴史であります。

今も高齢者の方々が若い頃もクリスマスはあったんね。

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笑いについての講義

本日は 90分という時間を頂戴いたしました。

役者(有名にはなれませんでしたが、年間100回

以上 舞台にたってきました。そして今 年間200回、なんらかの形で人前に立っています)として 舞台に立ってきた経験から 笑いについていろいろお話できたらいいなって思います。

 笑っている人がいるから 笑える。

 笑っている人がいないと たったひとりで笑うことができるだろうか

 笑うと 前向きになれる。

 笑うのがへたな人もいる。

 人間関係がうまくいっていると 笑うこともできるが そうでないとどうだろうか。

 どんな場なら 楽に笑えるだろうか。

 コンビニで買い物をして めちゃくちゃかわいいバイトのおねえちゃんに こころのまったくこもっていない 「ありがとうございました」をいわれたとき 笑顔になれるだろうか。

 笑うためには 笑顔になるために必要なことってあるんじゃないだろうか。

 目の前の人が 歩いてきた道をすべて理解できるわけではない、でも理解しよう、いっしょに頑張ろうとしたとき、目の前の人は心を開いてくれるのかもしれない。

 今、いる場所の空間はどんなところだろうか。やたらに天井が高かったり、やたらに広かったりしているだろうか。声はよく届くだろうか。人がいて居心地がいいなって思える環境だろうか。職場での人間関係はうまくいっているだろうか。上司ともめていたりしてないだろうか。いろんなことが 笑いが起こるさまたげになったりしていないだろうか。

 笑うことは 体にいいこと、心にいいこと。でも笑うために必要な いろんな要素がいっぱいあるんじゃないだろうか。

 ひとりひとりが違っているからこそ、そこに 人間福祉という概念が必要ではないだろうか。

 

 いろんなことを いっしょに考える90分になったらいいなって思います。

 笑えるならば 思いっきり 笑ってください。

 なんとか 笑えるように いっしょに場づくりに協力してくださいね。

 

 本日は よろしくお願いいたします。

12月14日 宇都宮の作新学院大学の教室で 栃木県作業療法士会の方々の勉強会がありまして なんと その講師をやらせていただいたのであります。大学の教室です。

わくわくしました。話そうと考えていたことが ふっとびまして 大学の教授になってみたくなって、あいさつしてから 1度 外に出て 教室の扉をあけて 入って 教卓の椅子にすわるということをやらせていただいたのであります。そして 目の前の人たちを見て 「入学 おめでとう。はじめての授業が わたしで すまないね。ほら 空席が多いじゃろ?6月になると 君らの半分はこなくなって 12月には 残るのは8人くらいになるのが 私の講義の特徴だ。まあ、若いんだから それもいいだろう、バイトや 恋で忙しいだろうからね」なんていってはじめさせていただいたのであります。うれしかったです。一昨年、群馬社会福祉大学の教室で 生徒さんの前で 話をさせてもらった以来でありました。でも そのとき 教授になって入ってみようとは 思いもつかなかったですから 2年の歳月は 私を またおもしろいおじさんにしてしまったのかもしれません。いや 集まった人たちが あったかかったから そんなこともできたのでしょう。

上記した文章は 今日 配られた資料であります。

参加してくださった方々のひとりひとりに 笑いは どんな時に起こるのかを 教授として質問して黒板に書いていったのです。そして もとにもどり、自己紹介をしてもらいました。そうやって 場をつくっていったわけです。

そして 人間福祉の話をしました。親父が大正9年生まれでした。西暦に直すと1920年です。西暦に直すだけで いろんなことがわかってきました。1945年の終戦の時、親父は25歳だったんです。乙種合格で 最後の方に赤紙がきて 宮崎県で終戦。

大阪に戻ったとき、25歳で焼け野原に立った親父。そんなことが見えてきたという話をしていきました。

少しでも役にたてたのならうれしいです。

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まえりあ文化祭報告

まえりあ文化祭

まえりあとは 前橋のSNSです。前橋であるんだろうから 全国各地の自治体であったりするんやろうな。ネットの世界から 実体の世界へ。そんな文化祭が まえりあ文化祭でした。

SNSまえりあ内の報告に ヨロコンデのことをコメントしてくださっているので うれしくて 貼り付け。

http://www.maebashi-sns.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=235609&grpcd=134992

ネットって 網ですよね。網は 縦の糸と横の糸で編んだものです。

もし 縦糸 100本、横糸3本なら 網にはならないですよね。
しっかりした網にするには 横糸も100本 必要ですよね。

中島みゆきさんが 縦の糸は あなた 横の糸は わたし

あなたは100本の糸、わたしは3本、あなたに甘えっぱなし、頼ってばかり
あなたは わたしを負担に思うでしょ、ごめんなさい。わたし 強くなるね。

そんなイメージがわいてくるのであります。ネットの世界では 強くないといけない。弱い人は 違う自分になって 乱暴な書き込みをしたり 荒らしになったりするんだろうななんて思って 挑んだ らいぶでありました。

即興歌をステージで歌いました。N少年の歌でした。彼は 生まれた時から片足のひざ下がありません。彼の今までの義足が何本も展示されていました。成長する度に作り直してきた歴史。その1本1本には 絵が描いてあったり シールが貼ってあったり。彼の義足の上には 写真パネルがいっぱい。生まれた時から 腕がなかったり 指がなかったの子どもたちの笑顔の写真。
前日にテレビで 絵のオークションを見ていていろんな想いになっていたので 頭をガーンとやられたようでした。
あこがれのあの人の絵は800万。でもそんなことより そのあとで タイルを貼っていた人の親の心に 号泣してしまった 自分。

いろんな想いが 頭の中で ぐるぐる。本番前に イベント盛り上げ隊で 即興歌を歌い続けていると、少女に出会いました。見たままを歌にすることからスタートする即興歌、見ると 少女の片腕はありませんでした。でもめっちゃ歌をよろこんでくれて めっちゃかわいい笑顔をくれました。

本番が始まる前に N君のおかあさんに 「彼の歌を舞台で歌っていいですか」と許可をもらいました。
歌い終わったら、N君が舞台に上がってきてくれました。

おじさんは これから 想像するね、それしかできないけど、カンボジアの子どもたちを 想像するし、N君らのことを想像するね。

想像してごらん すべての人間を、今日を生きている

イマジンへの道は 遠く長い。


がんばったけど、CDやDVDは 1枚も買ってもらえなかった。

ああ、ああ、ああ

でも、まあ いいよね。

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