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2008年10月

ふれあい・ゆうあい交流フェスタ

毎年10月に 群馬県青少年会館で開催されている このイベントに 今年の参加させていただきました。千春と そして テルサと同じように 手話通訳で あおちゃんも。音響担当として みともっち。初めて舞台で歌う KUMIちゃん。ぶっち 千春 あおちゃん KUMIちゃんで舞台に立ったのです。客席には しんやとしんやママ。

ふれあい・ゆうあい交流フェスタは 障害を持った子どもたちと ふれあい 交流するというイベントです。たくさんの若いボランティアの青年たち参加します。

みんなで 歌えたらをテーマに今回は やってみました。

ヨロコンデのテーマ
上を向いて歩こう
手の平を太陽に
即興歌
ゆかいな牧場
しあわせなら手をたたこう
ビリーブ
笑顔 県民会館大ホールらいぶ アンコールバージョン
さわやかな風

これで 32分間でありました。

ゆかいな牧場 で 千春大活躍であります。

ヨロコンデの牧場で イーアイイーアイオー
鳴いてるのは エドはるみ イーアイイーアイオー

鳴いてるのは ウルトラマン イーアイイーアイオー

とやっていったので あります。そんなこんなの32分。

笑顔から KUMIちゃんも参加。初めて 舞台で  歌ったのであります。
いろんな人たちと いっしょに笑顔を歌いたい。舞台の上に100人くらいいてもいいななんて思っています。でも KUMIちゃんが参加してくれたので
ひとり増えました。

かなしいことはいっぱいあるけど
うれしいこともたまにあるから
やっぱり生きてゆこうと思う
やっぱり笑顔で生きてゆきたいね

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リンゴの歌

リンゴの唄は 昭和20年の秋の大ヒット曲で「そよかぜ」という映画の挿入歌でした。昭和20年の8月が敗戦ですから その3か月後ぐらいということになるんでしょうね。私の親父は25歳、お袋は18歳でありました。ふたりは どんな風に この歌を聞いたり していたんでしょうか。

生きているうちに たずねてみたかったなって 今頃おもいます。

「おかん、18歳の時、どんなこと考えとった?好きな人おったんか?だれかに あこがれとった?映画スターのだれが好きやった?映画なんか見る余裕 あった?高等小学校卒業してから 敗戦の時まで 何をしとった?軍事工場で 働いとった?戦後のどさくさで 市の事務員になれたんよっていう話は きいたことあったけど、その前は何をしとった?親父とは見合いしたとは聞いてるけど、昭和何年に結婚したん?どんな暮らしやったん?貧乏やったん?幸せやった?」

いろんなことを もっともっと 親父やお袋にきいておけばよかった。

「今 母親が自分の子供を殺したりしてるんよ。どない思う?昭和20年代の子育って 大変やったやろ?電話もないし、救急車はあったんか?国民保険とか ちゃんとしてたん?医者も今と違って えらそうにしてたやろ?ああ、いろいろ教えてほしかったな」

大事なこと いっぱい いっぱい 聞いておけばよかった・

「おいあの頃はなあ」
「ああ、またその話か もう耳のたこ、耳にたこ」
なんて いって よく おやじの話を遮った。

耳にたこっていいてたのに どんな話だったのか さっぱりおぼえていない。

あ、おやじの自転車のハンドルにつけたイスにすわって 夜 お医者さんに連れていってもらったことは 覚えてる。あれはいくつの時やったんやろうか。

南海平野線の一両電車に おかんにおんぶしてもらって 乗ってたのは覚えている。

慰問らいぶをするたびに 親父やお袋を思い出す。

923 お袋の命日に 墓参りにも 帰らなかった。

テレビで 山田花子さん みてたら おかん そっくりなことに 近頃 気づきました。

しんやに娘ができたら 隔世遺伝で 山田花子さん そっくりかもしれません。

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前橋テルサロビーコンサート

10月4日 12時30分から13時まで

おかげさまで 無事終了いたしました。

10時に会場入りして PAのセッティングから始めました。
PAの調整のために 即興歌を歌いました。もちろん、テルサのフロントで働いている女性を意識して。
11時すぎに 千春とリハを開始。

Dscf2030
すると もう客席に おひとりすわられました。高齢のご婦人です。そして編物をしながら開演を待っておられます。はやい、1時間半も前から・・・
「手の平を太陽に」を練習していたら 編物をしている女性がにこにこ笑って
「この歌は盛り上がるから『みなさんのごいっしょに』っていえばいいわよ。と アドバイスを下さいました。
11時半すぎに 本日の手話通訳のあおちゃんと合流。そうなのです。初めての取り組みとして 手話通訳をしてもらったんです。あおちゃんはすごい力がある人です。るんるんです。手話が必要な方が客席にいるのではないけれど、手話通訳をお客さんに見てもらうことで 舞台としての表現が はったかく拡大してゆく。イメージが立体化される。そんなことを 思ってやってもらいました。イマジンという歌をなぜ歌うのか ながぶっちMCを手話通訳してもらいたいというのが ぶっちの一番の想いです。

Dscf2034

いろいろリハしていたら 12時。客席には何人ものお客さんたちが座っておられます。まだ30分もあるのに。そうだよね、リハしていたら そりゃすわっちゃうよね。それで 
「あの 本番は12時半からなんおですが 練習でやらせてもらいます」といって ぶっちひとりらいぶを開始。
「本番が30分しかありませんので 私 しゃべりだしたら止まらない大阪人でありまして それで今 しゃべっておけば 本番はじっくり歌をきいてもらえるかなと、えへ。私の親父は大正9年生まれでありまして お袋は昭和2年生まれでありまして・・・」
と 始めていきました。「リンゴの歌」「とうさんの歌」「四季の歌」をいつも高齢者の福祉施設でらいぶする時のMCをつけてやっていきました。この3曲で30分なのですから どれだけしゃべっていたかがわかります。

そして12時30分。テルサの担当の方の司会で スタート!
「ヨロコンデのテーマ」「上を向いて歩こう」「手の平を太陽に」
ながぶっちに変身して 即興「前橋テルサロビーコンサートの歌」「イマジン」
拍子木を持ち出して 
唱歌「あおば繁れる(桜井の別れ)」正成 ぶっち 正行 千春 バージョン
 そうなのです。芝居入りなのです。
そして CDプロモーションコーナー 「さわやかな風」「笑顔」
最後に 「ビリーブ」

これで 32分。客席がまだ聞きたいみたいな雰囲気があったので
「あの、県民会館のコンサートなら ここで拍手が起こって、えへ」といったら みなさん カーテンコールの拍手をしてくださいまして 
「涙そうそう」
即興「今日はほんまにありがとう」

これで おわりました。

今日のMCで 「あの 大きなホールのコンサートは 客席の電気が消えまして 照明をいっぱい浴びて歌われるので とってもまぶしくて客席はほとんど見えないそうです。でも今日は違います。丸見えです。だから 笑顔で見てくださいね。そう 笑顔いっぱいコンサートです」なんて いってましたね。

うれしいこといっぱいありました。

「あのね、あたし 8時間 働けるようになったよ。あ、CDの中で歌っている しんやくんだね。はじめまして お姉ちゃん、CD 毎日きいているよ」
「わかりますか?読み聞かせのYです」
「自転車できたよ~~~」

そんな 再会がありました。

なんと しんやママの友人も偶然きておられました。
「近いから 友人たちと毎回きているの。終わったら そこの喫茶でお茶飲んで。ヨロコンデって誰だろうって思ってたら あなたのだんなさんだったのね」

テルサのロビーコンサートは 月二回 第1、第3土曜日。毎回楽しみにしている近所の方々がいらっしゃる。そうなんだよね。歩いておられる人たちがいらっしゃるんだ。そうか そうか。

千春 あおちゃん お疲れ様。
しんや、しんやママ 来てくれてありがとう。

Dscf2026

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おじちゃんへ

うた ありがとうございました。すごくはげまされました。すごく感動しました。ほかの人にもはげましてあげてください。私は手じゅつがんばるので おじちゃんも うたや かみしばいを がんばってください。
     
             なつみより

   ありがとうございました。



以前、日赤の小児科病棟の遊戯ルームでのらいぶのあとに 手渡された手紙です。

彼女は 手術を前に 立ち寄ってくれました。お父さんといっしょでした。

うれしかった。

元気になったかな。スーパーとか イベントなんかで 再会できたらいいな。

そのためにも やりつづけないといかんな。

入院していた子どもたちとイベント会場で再会するのは ほんまにうれしい。

「あ!!」なんて いってくれたりして。

スーパーで 買い物している時にも あったりする。

長く続けてゆけば ゆくほど その確率は増す。

そう信じて 

 おーるらいと
K1

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